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小さな書店から広がる、つながりの輪。(2)  奥山 恵さん / Huckleberry Books


社会とかかわる場として、本屋さんに

――奥山さんのご出身はどちらですか。

生まれ育ちもずっと柏で、今も市内に住んでいます。

――お店を始められる前は何をなさっていたのですか。

22年ずっと、3校ぐらいの都立高校で教員生活をしていたんです。

大学院のときも児童文学をやっていたので、教員になっても児童文学の研究や評論を書くっていうのはずっとやっていこうって思っていました。

ただ、大学院の時まで奨学金をもらっていたので、教員になると当時奨学金を返さなくていいっていう制度がまだあったんですよね。それもあって、すぐには本屋ももちろんできないし、奨学金の返還免除もあるし、というので教員になったんですね。

――教員になられてから、児童書のお店を開店しようと思ったきっかけなどはありますか。

私が大学の頃に、東京で「クレヨンハウス」などの児童書専門店というのがどんどんできていて、それで、なんかすごく漠然といいなあとは思っていたのがまずありますね。

あとは、教員になって、児童文学評論を書いたりしながら思っていたんですけど、やっぱり今、どんどん本屋さんがつぶれてしまうとか、本屋さんでも売れ筋ばかりで児童書が置かれないとかで、本だけじゃなく世の中が大手中心になっていっていると思っていて。

それで、この行き過ぎた資本主義社会はおかしいと思って、それにちょっとは抵抗したいって気持ちもあったんですよね。

でも高校の教員になって、高校の教員は教員で結構楽しかったんですよね。

――教員のどういったところが楽しかったのでしょうか。

やっぱり高校生すごくいいし、なんかドラマがあるじゃないですか。

特に私が教えていた2校目の定時制高校では、大変な子が多かったんですよ。

小中学校にほとんど行ってないとか、家もほんと貧しいとか、精神的に問題抱えているとかで。

定時制は4年間なので、4年間学校をまず続けるってことが大変なんですよ。

だから卒業までの間に、人間が変わっていくっていうのがすごく面白いし感動もしますね。

児童文学もある意味そういう部分があると思うんです。やっぱり人間が変わっていくっていうか、成長していくっていうか、そういうのに結構興味があったのだと思うんですけどね。

そんなわけでやってみたら教員が結構面白かったっていうので、意外とズルズル続けたっていうのはありますね。

――では、いつごろ具体的にお店を開こうと思われたのですか。

2校目の高校が定時制高校で、その次も定時制高校に行きたかったんだけど、もし異動で行けなかったら、その時点でやめようと思っていたんですね。全日制の学校に行っちゃったらほんとに忙しくて、同時にやっていた児童文学の研究も無理だなと思ったので。それが教員生活で16年か7年目ぐらいのことですね。

――その時にすでに、やめたら何をするかを考えていたのですね。

そうですね。そのやめようっていうふうに思ったときに、自分がこれからの人生どうするかみたいなことを、メモしたんですよ。その時に、三つ柱を立てたんですね。

――その三つの柱はどういったことでしょうか。

一つはライフワークとして、「創造」っていうか、何かを創りだすっていうか、そういう部分ってほしいじゃないですか、生きている限り。で、それは自分にとって何かって言ったら児童文学の評論を書くことだったんです。

あと生活っていうのが、やっぱり生きていかなきゃいけないので、食べていく「生活」の部分というのはありますよね。

それともう一つは「社会とのかかわり」、コミットメントってその時は自分で考えたんですけど、社会とかかわるということですね。

それで、その三つのことを考えたときに、「生活」の部分と、それから「社会とのかかわり」っていうのは教員生活には両方あるわけですよね。給料ももらえるし、生徒と関わることで社会とかかわるっていう部分があって。

もし教員をやめたとすると、それが両方なくなるわけですけれども、その時に「社会とのかかわり」っていうのはやっぱり持っていたいなっていう風に思って、店をやろうかなと。私にとってはその部分が店なんですね。

――では、「生活」の部分はどのようにお考えだったのですか。

私にとって店は社会とかかわる場で、では「生活」はどうするかっていったら、いろいろ調べたところでは、多分書店でなかなか生活費は稼げないと。だからそれを稼ぐところは、教員免許も持っているので、例えば大学の非常勤講師とか。大学の非常勤は定時制の時からやっていたんですね、実は。

――そうだったのですね。

はい。それを週に一回とか、今もやっているんですけども。店は、収入源にはあまりならないっていうことを、最初から思っていたので、その生活の部分は別のところで稼ごうというのは当初からありました。家の近くのファミレスで深夜働こうかなとか。

お店と大学講師と原稿と

――お店の開店資金はどうされたのでしょうか。

一応ある程度貯金していたのと、あと退職金ですね。教員としてやってきて、で、私に子どももいなかったので、ある程度資金が貯められたっていう。それはやっぱり、いきなり若くて起業をするっていうのとはちょっと違うんですよね。

――お店の場所はどのように見つけられたのですか。

教員やめる4年くらい前くらいからすこし探していて、柏の物件をインターネットとかでいろいろ探していたんですよ。それで、ほんとにここがたまたま出たんですよね。

――お店の建物は借りられているんですか。

借りないで自分で建てたんです。本屋の実情とかいろんな本屋さんに聞きに行ったりとかして、本屋の経営でテナント料を払うのは金銭的にまず無理だろうと思ったので。

ここは古い家が建っていたんですけど、土地を買ったらそれは壊し、そこにすぐ建物を建てるっていう建築条件が付いてる土地だったんですよ。建物のローンは今も少し残っています。

――開店までに苦労したことはありましたか。

そうですね、一番苦労したのは、最初本を仕入れる取り次ぎさんと契約ができなかったことですね。取り次ぎさんと契約するには、1か月の売り上げの3倍ぐらいの保証金っていうのが必要なんですね。

――それはどうされたのですか。

2010年の4月に教員をやめたあと、修行していた本屋さんに紹介してもらったのと、あとここの土地があったっていうことで、それを担保にして契約してもらいました。

ようやく夏ぐらいに契約できて、取り次ぎさんが決まったんですよ。

――現在はその大学講師とライターとしてのお仕事と、お店の経営を両立させているということで、すごくお忙しいと思うのですが。

大学講師は、いま2つの大学でやってるんですよ。一つは水曜日に毎週行ってるんですけど、それは結構準備もしなきゃいけなくて。

あともう一つは、短大の通信教育みたいなのをやっています。去年くらいから始めてそれは通わずにここでできるから、経済的には助かっています。

あと店の仕事は、イベントの準備とかで忙しいは忙しいんですけど、仕入れとかは今は自分で買いに行くってことはほとんどなくて、だいたいWeb上で仕入れられるので、店の経営自体はそんなに忙しくはないですよね。その代わり原稿を書いたり、児童文学のセミナーやシンポジウムで話したりっていう仕事が常にあって、それは結構忙しいですね。

――どういった原稿をお書きになっているのですか。

児童文学の書評とか。例えば今年書いている仕事は、一つは「読売新聞」の本の紹介欄っていうのに年5回くらい書いているんですよ。それから、「絵本の一年をふりかえる」とか「絵本と物語のちがいを考える」とかいろいろな依頼をいただいて書いています。

あとは時々児童文学のいろんな賞の選考委員とかをやっていると、その候補作をたくさん読まないといけないですよね。

また今は、5人ぐらいで「時間」をテーマにした、児童文学を200冊選んで紹介する事典みたいのを作る仕事もやっています。

――休める日があまりないですね。

ないですね。一応火曜日は定休日なんですけども、「日本児童文学」っていう雑誌の編集会議があるとか、あと休みの日は図書館に行って調べなきゃみたいな。だから、店がある日が一番ほっとするっていうか。

でもやっぱり評論を書くときに、お店で見たり聞いたりしたお客さんの感想とか、イベントの時に作家さんが話してくれたこととかがすごく役に立つので、そこは結果的に全部つながっている感じがありますね。

小さな書店から広がる、つながりの輪。 奥山恵さん / Huckleberry Books

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