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柏を盛り上げることも自分の役割だと思った。(2) 三輪 理さん / Gleeful

一直線に独立だけを考えていた訳じゃなくて、結構迷うことがたくさんありました

――次に、三輪さんが起業に至るまでの経緯、そして移転された経緯についてもお伺いしたいと思います。三輪さんが古着に惹きつけられたのは、いつごろなんですか?

僕は買いだしたのは中学1年生ぐらいだったんですけど、時代というか、渋カジブームみたいな、ヤンキーみたい時代(笑)と切り替えぐらいの時期だったんです。まあ、何て言うんだろうな…悪く言うと、チーマーみたいな、そういうのが出てきた時期で、かっこいい服がヴィンテージぐらいしかなかったので、買うようになりました。

――高円寺にある古着屋から独立されて、起業されたんですよね?

そうですね、ざっくり言うと。22歳ぐらいのときにその店に入って、辞めたのが25歳です。独立が30歳で、ブランクが5年あったので、なんかパッとここまで来たって感じでもないんですね。

――そもそも、そのお店で働くきっかけは何だったんですか?

古着が好きで、自分の店を持ちたいって思ったのが、19歳ぐらいのときで、どこでやろうかなって考えたときに、通ってる古着屋の中の一個に高円寺の店があったんです。

そこは、兄弟でやってて、知識が誰よりも豊富だったんですよね。僕も中1から好きだったから、ある程度、周りの店員とかオーナーさんよりは知っている自負があったけど、その兄弟には、どう考えても勝てない。

それで、会社というかお店の中では、ある程度の地位まで行けるんじゃないかと思って、丁度募集がかかったときに受けたんですけど、そのときは採ってもらえなかったんです。

――アルバイトの募集だったんですか?

そうです、はい。バイト募集で、最初は採ってもらえるような雰囲気だったんですけど、面接を受けたら、メインで稼がせるつもりはないというか、学生の週2、3ぐらいのバイトがいいと言われて採用されなかった。

――そのあとは、どうしたんですか?

やりたいところが、どうしてもそこしかなかったので、それならもう独立しようと。

それで、独立するには何が足りないかって考えたら、買い付けの経験がないから、買い付けをしようと思ったんです。

――かなり積極的ですね(笑) そのときの買い付けの資金はどうしたんですか?

パチンコ屋でバイトをして、半年で100万貯めたんです。それから、買い付けの方法はそのお店に教えてもらって、アメリカに3週間買い付けに行きました。

でも、僕は小売じゃないんで、卸さないとなんないじゃないですか。で、卸そうと思ったときに、その店のオーナーから連絡が来て、「持って来いよ」と言ってもらえて、全部買い取ってもらえたんです。

「店をやりたいとか、アメリカに行きたいとか言う奴は多いけど、実際行ったのは、お前だけだ」みたいに言ってもらえて。で、「まあ、そんな馬鹿は、来いよ(笑)」みたいな風に言ってもらえて、入ったんです。

――入社してからも、仕入れなどの仕事には携われたんですか?

仕入れに行かせてもらえるって言われて入ったんですけど、まあ、実際に行ったのは2年半後ぐらいで、そう簡単でもないし、一回行くのに、経費が数十万かかるんで、やっぱり、会社としても、みんな慎重になるというか、簡単ではなかったですね。

なかなか難しくて、最終的には辞めてしまいました。

――辞めてからの5年間のブランクは、開業するための資金集めとか、そういうことだったんですか?

そうですね。トラックの運転手を5年やっていました。まあ、トラックで5年やって金を貯めようって。ただ、本当、ヴィンテージが好きだったんで、働いて稼いでも、全部服買ってて(笑)

――いつごろから、本格的に開業に向けて貯金をされたんですか?

28歳になったくらいで結婚することになって、そのとき、かみさんに、「お金貯めて30歳までに、店やるんでしょ」って言われて、月10万ずつ、そこから貯めるようにしました。

出来れば早く店はやりたかったんですけど、「今は独立しても成功しないから、絶対やめたほうがいい。今じゃない」っていうのを3、4人仲良いオーナーさんたちに言われ続けてる間に、30歳になっちゃったんで、「もう、します」って言って、起業したんです。

――やっぱり、常に目標は開業することを意識して働いていたんですか?

うーん、結構迷いましたけどね…。

トラックの運転手も契約社員みたいな感じで入ったんですよね。そこは、基本的には社員にはしないってところだったんですけど、結局、そこの人に社員になってほしいと言ってもらえることになって、社員になると年収800万もらえるんですよね。

お店やるだけが人生じゃないっていう風にも考えたし、どうしようかなと思って。

――結婚っていうのが大きかったですか?

そうですね。かみさんは、「800万を2年、3年でも貰って、借金なしでやってほしい」って言ってたけど、子どもがもしできちゃったら、800万貰っている状況から独立できる勇気あるかなって思ったときに、無理だなと思ったんで。

それで、家族に相談をして辞めたんですけど。一直線に独立だけを考えていた訳じゃなくて、結構迷うことがたくさんありました。

古着の印象を聞いたときに、おじさんが着る高い服ですって言われて(笑)

――起業されるにあたって、柏を選ばれたのは何故なんですか?

とにかく街で一番になれれば、そこそこな生活ができるだろうと、単純に。

元々金があるわけではないんで、都内は無理だと。それで最初は、札幌でやろうと思ってたんですよ。でも、自分が良いと思ってた2店舗が、潰れてしまったので、なんか僕のやりたいことは出来ないのかなというか、もしかしたら、ずれてるかなと思って。

――なるほど。それから柏を考え始めたんですね。

まあ、これから出産もあるだろうし、親と近いほうがいいなと思って。かみさんが足立区で、僕が川口出身なので東京近郊の地方都市を探すようになって、柏、町田、大宮が浮かんだんです。その3都市で探して、柏の古着屋が一番クオリティが高いし、家賃が安くて、この街ならば頑張れば何とかなるかなっていう気がしました。

―― 一店舗目は、この物件ではないんですよね?

はい。最初10坪ぐらいのところからスタートしたんです。

半年物件探してどこも空いてなくて、すごく条件が悪かったんですけど、柏3丁目で店を開きたかったので、まずはこのエリアで開けといて、良い物件が出たら移転をしようって、最初から移ることを考えての開店でした。それが2008年の10月ですね。

――あくまで柏3丁目にこだわったのは集積の部分ですか?

僕の中では、一店舗で集客するって、まあ、現実的には無理だと思ったんです。いつかは、そういうどっかでポツンっていうのもやりたいですけど、やっぱ、順番があると思うので。

勝負できる街の中のうちの一店舗として加えてもらうほうが、僕の中では現実的だった。

――開店当初からホームページのブログを頻繁に更新されるなど、積極的な印象がありました。

そうですね。周りの人たちが言うには、柏が終わりだしたときだったんで、まあ、一筋縄ではいかないというか、ただ頑張っていても仕方がないんで、頑張り方をどうするかってことを考えるようにしていました。

――ネットでの販売も、その一環だったんですか?

柏だから売れないとかって愚痴を言いたくないのもありますけど、やっぱり柏で店頭でやっているよりも全国区でやったほうが明らかに食いつきはいいので。

そうですね、一点物なのでなおさら、うん、多くの人に見てもらえたほうがいいかなと。

――スタッフを雇い始めたのは、いつごろだったんですか?

店をはじめて2か月で奥さんが妊娠をしたんです、それで、出産に立ち会いたいなとか色んなことを考えるようになるじゃないですか。休みもなくていいと思ってたんですけど、まあ、子どもが出来れば週一は休もうかなとか。

それで、人を採りたいと思ったんですよね。売り上げが150万に乗ったら、人を採ろうと。で、それに乗ったのが半年後ぐらいでした。

――それ以降は、アメリカに仕入れに行っているときも営業できるようになったんですね。

そうですね。買い付けに行くのが、その頃は10日間ぐらいだったんですけど、

月に100万の売り上げだとしても、一日3万ぐらい売れるわけじゃないですか。3万売れて10日ってことは、30万ぐらいは取れるはず。

僕がいる間には、ネットショップやってもらって、ネットショップで30万ぐらい取れれば、60万ぐらいにはなるので、

それなら、やっぱ普通に考えて、バイトに15万、18万ぐらい出しても、どう考えても回るし、休みも取れるし、そっちのほうが合理的かなと思って。

――2011年に一回目の移転をされたのは、物件が空いたということですか?

そうです。一店舗目で、2年半ぐらい経ったときに、すぐ近く15mぐらいの斜め前ぐらいの物件が空いたんですけど、坪単価は半分くらいになりました、はい。だから、強気なオーナーさんから、優しい良いオーナーさんのところに移ったって感じです(笑)

――移転されて、お店の規模が大きくなって、接客やコンセプトの変化はありましたか?

こだわりを捨てることを考えました。以前働いていた高円寺の古着屋は本当に、アメカジ、ヴィンテージの名店なので、60年代ぐらいまでの本当に良い服しか扱わない。最初は、僕もあそこの出身っていうのもあって、その意識が高かったんですけど。若い子は買わないんですよね、それだと。

若い子に聞いたことがあって、そしたら「古着の印象ってどんな感じ?」って聞いたときに、「おじさんが着る高い服です」って言われて、おぉーと思って(笑) 

――価格帯を広げないといけないということですか?

商品に対して、こだわりの強い先輩たちが、どんどん潰れていっているんで、親から仕送りをもらって毎日洋服を着る大学生にある程度焦点を当ててやっていかないと、一生これで食っていくことは無理だろうなと。僕らくらいの中間の年代が何かをひっくり返さないと終わるかなと思った。

それで、敢えて自分が着ないような90年代以降とかのチャイナメイドの服とか、ただ着てかっこよければ良いっていう服とか、安く出せるような服もバイイングするようになったんですよね。

――接客も若者に対して意識するようになったんですか?

そうですね。大学生とかがメインになってくると、ある程度ガンガン流暢にお話しをして、色んな商品を勧められる状況がないとどうにもならないんで。

それで、そこらへんから若い人を雇って、年齢の近い子に接客をしてもらうっていう方向に変えた感じですね。

2店舗目のとき、つくば駅のQ’tっていうところで、Neonっていう古着屋をやっていたときもあったんです。

そのときは、今の店みたいなデカいことやる気はなくてというか、やっぱ、ビジネスとして考えると、デカく一個の店舗で儲けるのって無理だと思うんですよね。

なので、200万ぐらい売る店舗を誰かに任せて、まあコツコツやって、ちょっとした利益の出る店舗の多店舗展開、パッケージ化して、それを色んなところでやっていくってことにしか興味がなかったんです。その一環としてですね。

でも、ここに移転するときに、別店舗は閉めてしまいました。

三輪 理さん(Gleeful)インタビュー

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