柏で、誰にも真似できない店を(2) 芳村 剛さん/活イカ料理 割烹 いっか
- 2016年1月1日
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呼子のイカを食べて、「これで独立しよう」とすぐ決めた
──「イカ料理屋」って珍しいですよね、どうしてイカで店を出そうと思ったんでしょうか。
きっかけは、今から10年前、28歳くらいの時に、家族旅行で福岡に行ったことだったんです。福岡の方に「九州に来たんだったら、ぜひ佐賀の呼子ってところに行って、イカを食べてみてくれ」って言われて、家族で呼子の剣先イカを食べたんです。
そしたら「あっこれはうまいな」と思って。僕は18歳の時から和食の板前として修行していたので、生きた魚とか、色々なものを食べてきたんですが、イカだけは「生きたものだと全然違う」と感動したんですよね。
実は板前を始めた時から、30歳の時には独立しようと思ってたんですね。だからその時に、「よし、イカ屋をやろう」と決意しました。ただ和食の店ってだけじゃ埋もれちゃうなと思ったので。
──「これしかない」と思われたわけですね。
そうですね。その時は都内ホテルで働いてたんですけど、そのホテルの料理長に九州の調理師会を紹介していただいて、ホテルを辞めてイカの勉強をしに長崎まで修行に行ったんですよ。こっちで活イカを扱うことはまったくないので。4ヶ月くらいお世話になって、そこから開店のための準備を始めました。
──開店のための準備は大変でしたか。
大変でした。やっぱりイカを生きたまま仕入れるためには、休みの度に産地の市場に行って、コミュニケーション取って。知り合いってわけでもないのに、電話一本で「柏でイカ料理屋を始めるので生きたまま運んでね」なんて言ってすぐ取引できるってものではないんですよね。
ただ、不安な気持ちはありませんでした。「俺がやったんだったらいけるだろう」って思っていたので(笑) 今でも思っていますけどね(笑)
──それと、イカ料理というものにお客さんは慣れていなかったかと思います。
イカ一匹が4000円5000円するわけですから、本当にびっくりされました。そんなの普通は食べたことないでしょ。ただ、透明なイカは運ぶのが大変だから価値があるものだというのはテレビなんかでやっているので、なんとなく認知されていって。
それと専門店なので、テレビとか雑誌とかメディアに出していただく機会があるんですよ。それでちょっとずつ注目されるようになりました。
──それは開店当初からですか。
はい。もうすぐに、柏レイソルの石崎信弘監督(当時)が店に来てくださって、気に入っていただいたそうなんですね。それで『リビングかしわ』というフリーペーパーにある、街の有名人に聞く美味しいお店みたいなコーナーで、石崎監督がうちを紹介してくださいました。
それからいろんなメディアに出させていただいて、燃料の高騰でイカ漁に出れないっていうのが問題になった時には報道番組が来たり、バラエティー番組でイカ飯を作ったり、主婦向けの料理番組もありました。「イカ」で検索した時にうちがやっぱり上にくるんでしょうね。そういうのに出れば、人目にはつくじゃないですか。
──そうなるとお客さんは遠くからもいらっしゃいますか。
ありがたいことに、横浜や都内の方からも来て頂いたりします。でも一番多いのは柏の人ですし、あと野田や流山から来る人も多いですね。タクシーが止まって、野田や流山からお見えになっていたりすると、わざわざ来てくれたんだと、嬉しくなります。
──常連さんも多いですか。
多いですね。月2回来てくださるお客様もいます。全体の売り上げの50%くらいは常連さんなんじゃないかな。うちは本当にお客さんに恵まれていると思います。
30歳で独立しようと、料理人になった時から決めていた
──料理人になろうと思ったきっかけは何だったのでしょうか。
高校1年生のころから和食屋でアルバイトをしてたので、高校卒業して調理の専門学校に行ったんですよ。でもすぐやめちゃいました(笑)
──えっ、やめちゃったんですか!?
それで、やることもないので和食料理屋に就職しました。でも、やってみたら面白かったんですよね。これだけ技術の差で上下が決まる世界ってないですからね。僕はもともと器用だったので、すごいはまりました。
それと、先輩方に可愛がっていただきました。呑みに連れて行っていただいたりとか、たくさんありましたね。それで続けていられました。
──店舗はどれくらい回られたんですか。
7〜8店舗くらいです。和食は和食なのですが、居酒屋から旅館、宴会場やホテルまでいろんなところに行きました。地域的には、東京、千葉、茨城と多くは回っていませんが。1日でやめた店もありましたけどね。

──1日でお辞めになられたのはなぜでしょうか。
調理場が汚かったんです。この調理場は1日2日じゃ綺麗にならないなあと思って。これはやめた方がいいなあと。僕結構綺麗好きなんですよ。
──先ほど、独立は18歳のころから30歳で独立しようとお考えだったと伺いました。なぜ30歳だったのでしょうか。
稼げる期間が長い方がいいじゃないですか。かといって修行もちゃんとしなきゃいけないなと思っていたので、それを両立できるのが30歳かなあと。
独立するまでに、一通りの料理をできるようになっておきたかったんですね。例えば、フグの調理免許なんかも持ってますし、スッポンやうなぎも捌くことができます。もともとイカ料理が得意なわけでも、それで店を開こうと思っていたわけでもありませんしね。
──和食を一通りできるようになりたかった理由はなんですか。
後輩や、若い子たちに何でも教えられるようにしたかったんですよね。聞かれた時に「できない」と答えるんじゃなくて、何でも持ってたかった。
──それで30歳を前にして、「イカ料理屋を開こう」と決意されて。
ええ、もう決めたら即行動で、カミさんにも言わずに勤めていたホテルを辞めたので(笑)
結局開いたのは31歳になっちゃったんですけど。
──店を開く上で、物件探しとかは苦労されましたか。
相当迷いましたね。50軒くらい見たんですよ。不動産屋に行って、あんまり良くないかなって思ってるところでも実際に見に行って。
最終的に今のところに決めたのは、前が駐車場だとか、立地的にお客様が来そうだと決めたのですが、ここも飲食店街からは外れてるんですよね。でも、雑居ビルの中に入っちゃうよりはいいかなあと思いました。直感です。
──そういう立地ですと、お客さんを呼ぶのに苦労はありませんでしたか。
ありがたいことになかったですね。メディアに多く取り上げられたのもあって。
──開業の時に、今まで働いてきたお店の先輩からのサポートはありましたか。
かなりありました。物件を探しに行くのにも、一緒に親方が来てくれたりとか。それが決まってからも、一緒に料理の研究をしてくれたりもしました。そういう手助けはかなり大きかったですね。今でも可愛がっていただいていて、料理へのアドバイスをしていただいたりしますね。
──従業員集めの部分はどうでしたか。
そこはとても苦労しました。店を開いて5年目が人数が一番少ない時だったのですが、ランチは僕とカミさんだけ、夜もパートさん2人だけの4人体制で店を回していました。
その時は本当につらくて、イカを捌きながら油物やったりとか、休みの日も水槽の掃除のために出たりとか。それが一年間続きましたね。朝から夜中まで一生懸命働くしかなかったです。まあ雇う人がいないので儲かりはしますが、店に入れられるお客様の数は減ってしまいますよね。
今は無事に増えて11人になって、だいぶ楽になりました。
──従業員の方とのつながりは大切にされますか。
はい、一人じゃなにもできないので。独立したいって言ってる人がいたら全力で応援しますし、色んなことを教えます。あと一緒に呑みにいったり。僕が先輩にして頂いたことはやろうと思ってます。
あと大事にしてるのは、一つ一つのお祝いをすることですね。子どもが生まれたりとか、アルバイトで入ってくれる、辞めるって時も。そういうのは大事にしてますね。
最近は、アルバイトの大学生に「大学を卒業したらいっかに就職して、いずれは店長みたいに独立したい」と言われました。本当に嬉しかったですね。大学卒業してまで、うちで勤めてくれるっていうのは。
──やっぱり店長は憧れの存在なんですね。
そうなんですかね、まあでも店長がやっぱり目標になってなきゃっていうのは考えてます。ある程度お金持ってて、家族を持って、家を買ってとか、そういう当たり前の生活はしたいなあと。
──家族にも心配はかけられませんよね。
そうですね。長男が今年受験なのですが、公立しか行っちゃダメだよとか、そういう風にはなりたくなかったですからね。
活イカ料理 割烹いっか/芳村 剛さんインタビュー









































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