フランス菓子とともに贅沢な時間を過ごしてほしい。(2) 佐々木 愛さん/coffret d'amour
- インタビュー・構成:曽原 実子
- 2015年12月18日
- 読了時間: 6分

「父親に趣味を仕事にしない方がいいよって言われたんです。」
――パティシエとしてご活躍されるきっかけは何だったのでしょうか。
高校を卒業してから、調理師学校に進学しました。高校生の時に、進路で調理かアパレルかで相当迷っていたんですが、父親に「趣味を仕事にしない方がいいよ。」って言われたんです。それは今でも記憶に残っているから相当効いたんだろうなって思いますね。
もしデザイナーの夢が叶ったとしても、仕事の関係で自分が着たい服を着られなくなったら嫌だなーって。父親の言葉は、自分がストレスを抱えたときに逃げ場がなくなるよっていう意味でしたが、ストレスとは縁のないセブンティーンだったので、「好きだからやればいい訳ではないのか…そうか。」という程度でしたね。
あと、その頃ちょうどカフェブームで、買い物してはカフェ巡りっていう休日を過ごしていました。カフェっていう空間に対して憧れが湧いたのもこの時期です。ブランドを持つより、カフェの方が現実的かもというところから調理の方に進路を決めていましたね。
今思えば、お菓子をどういう仕上げにするかという「デザインする」というところで通じる点があるなと思います。
――企業に勤めたいとかっていうようなビジョンはなかったんですか。
全くなかったですね。勤めるというよりかは小さい規模の個人店みたいな、専門職を考えていたんだと思います。そのときから自分で店を持つだとか、独立して自分で動くみたいなのはありました。
――カフェに対して憧れがあったとおっしゃっていましたが、カフェの魅力っていうのはどういう部分だったのでしょうか。
「今日はここ!」、「新しいお店が出来たから、今度行ってみよう!」というような休日を過ごす中で惹かれたのが、ファストフードやファミレスで食べる既成品や接客とは違った「サービス」でした。
可愛い店内の家具や雑貨にワクワクしたり、店員さんとの会話が楽しかったり。そのお店ならではのメニューはどれも美味しくて。美味しい食べ物で幸せになれると気づいたのもカフェのおかげですね。
当時の私にとって、カフェは大人になった気になれる特別な空間だったように思います。
――カフェで食べる料理って、味わい深いですよね。
高かったですけどね。そういう空間を人に提供するのは楽しそうだなと思っていました。それが私もこういうのやりたいっていうのにつながっていきましたね。
――そこでカフェじゃなくて、フランス菓子を販売しようと思われたのはどういう経緯があったのでしょうか。
調理師学校に在学中はカフェをやりたいってずっと思っていたんですが、就活の際、有名なフレンチレストランの求人に“パリ勤務”の文字を見つけて、面接を受けに行ったんです(笑)。
「入ったらどうなりたいですか?」と聞かれたときに口から出たのが「デセール(デザート)がやりたいです」でした。そこで、料理よりお菓子の方が得意なんだと気づきましたね。
あと、お菓子は小学生のときから母の影響で作っていたので馴染みがあったっていうのと、お菓子の方がほんとに簡単に感じているからです。
――お菓子作りってハードルが高いイメージがありますが(笑)。
料理も好きなんですけど、料理って感覚とか気分によって味付けが変わるじゃないですか。よく言うのが、悲しいときとか怒っているときとかって塩が強くなるって言うんですけど。そういうのが私は難しく感じていて。お菓子は計量するし、焼き具合や生地の立て方のポイントに気をつけるぐらいなので楽に感じますね。
「就職するまでの間、良い勉強になるかなと思って。」
――では、フレンチレストランにご就職されたのでしょうか。
いいえ。初めての就職先は地元流山市にあるケーキ屋さんでした。就活中、そのお店がアルバイトを募集していて。就職するまでの間でも良い勉強になるかなと思って面接に行ったんです。
そしたら、春から社員としてやらないかと言ってもらえて。そのお店は、そのとき初めて社員を採用する年だったんですね。それなら若い子の方が使いやすいからって声をかけてもらって。願ったり叶ったりだなと思い、就職させていただきました。
――では、そのケーキ屋さんで専門性を磨かれたということですか。
そうですね。専門学校を卒業したら、みんな最初のお店で専門性を身につけます。大規模なお店だとセクション(部門)ごとに仕事内容が分かれていて、7年くらいいないと一通りのことができないんです。計量に1年、ムースとか冷たいものに3年、焼くものに3年とかで全行程を回っていくんですね。
私が就職したケーキ屋さんはわりかし小規模のお店だったので、3年間で全行程をやらせてもらったので、身につくのが早かったですね。
――その後、独立を決心されたということですが、どういう経緯があったのでしょうか。
その店では最後の商品開発をするところまでやらせてもらったんですけど、それは数える程度で、基本はシェフのレシピに沿って作業をしていました。
一戦力として見てもらえてたんですけど、他を見たいという気持ちが大きく、3年で退職したんです。
その頃には、入社したてのときにはなかった自分の好みの味などが固まってきて、“自分の店を持つ”ということに向き合うようになりましたね。
――仕事をお辞めになった後はどうされたんですか。
百聞は一見に如かずということで、フランスへ旅行に行きました。旅行から戻ってきてからは様々なアルバイトをしましたが、最終的には大手のケーキ屋さんのサポートや工場などに勤務していました。
そのアルバイト期間中に、柏のバーで働いていたこともあって、お酒のおつまみに生チョコを作ってほしいと頼まれて作っていましたね。
――アルバイトをしながら、お菓子の製造にも携わっていたということですか。

そうですね。バーテンさんが常連さんに「パティシエさんなんだよ。」って紹介してくれていて。しばらくして、「うちのお店でも使いたいから、今度ケーキを作ってもらえない」とダイニングバーbartexのオーナーの根本さんから声をかけてもらったんです。そのときはアルバイトを終えてから、自宅で作って深夜に届けてみたいなことをやっていたんですね。
やはり勤めるとパーツパーツでしか仕事できないんです。例えば、果物を切るだけとか。だから、時間的にはきつかったんですけども、自分で1から10作ったものを誰かに売るっていうのが初めての経験だったので、すごく貴重でした。
そのアルバイトでは、特に、人との繋がりを感じたり、販路を広げたりするきっかけになりましたね。
――どのくらいのペースでケーキを販売されていたんですか。
週に1、2回です。アルバイトで生活費を、お店の方はお店の方でマイナスにならないように経営みたいなことはちょっと小規模ですがシミュレーションとしてやっていました。
専門雑誌に無店舗独立とか焼き菓子専門店だとか、そのときの自分にタイムリーな記事があって。店舗を構えなくても開店できるということを知ったのは大きかったです。それからはどういう風に手続きをするか等、あらゆることを調べ尽くしましたね。
そして、実際に保健所を通したアパートで製造業をスタートしたのが23歳です。
最初の1年半はアルバイトをしつつ、だんだん比率を減らしていきながら、都内の手作り市とかに参加して売り上げをアップさせる等して頑張っていましたね。
フランス菓子とともに贅沢な時間を過ごしてほしい。 佐々木 愛さん/coffret d'amour
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